昔を懐かしむ

田端大橋について

《田端大橋について》

○初代田端大橋は1915年(大正4年)の地図には現存していたいつ出

 来たか不明)。名称は『江戸坂跨線橋』で当時から140~150

 大橋であった。橋の下に線路があり列車が通過していた。

○二代目は1935年(昭和10年)に出来ケルバー式溶接橋(造船技術を

 生かした全部溶接で作られた橋でこの方法では東洋一と言われた。

○三代目は1987年(昭和62年)に新大橋として隣に出来る。旧大橋(

 二代目)は『田端ふれあい橋』の愛称で歩行者専用の橋に生まれ変わった。

現在はこの二つの橋を跨ぐように上に巨大コンクリートの橋桁を東北・上越

新幹線が通っている。両橋の下はいくつもの線路がひかれていて色々な列車

がおかれており、田端操車場となっている。またJR東日本東京支社のビル

も隣接している。

『田端大橋二代目の時代』

1950年の2月のある日、男はリヤカーに産気づいた女を乗せ、ほとんど

車の通らない坂を息を切らしながら一気に上りきり、二代目田端大橋を通り

過ぎ道坂方面へ向けて走りぬけて行った。目的地は東京都立駒込病院(当時

は産科もあった)そこで一人の男の子が誕生した。その男の子はその後成長

し37歳になるまでこの二代目田端大橋を利用しお世話になったのである。

それは実は私です。当時の周辺の状況は私の成長とともに車の往来が激しく

なり駅の乗降客も多くなる。タクシー乗り場の車列が大橋までかかり通行の

邪魔になるほどである。当然駅を利用する歩行者も多くなるも周辺の施設等

の状況はなに一つ変わらなかった気がする。私が通学、通勤の時の状況は橋

の下から急な一直線の石段で歩くところがすり減っていた。上りきった所に

は食堂と立喰いそば屋が向い合ってあり通る時に良い匂いがする。橋の歩道

の車道鉄の壁(目の高さほどで幅もあり)で仕切られており高いバスは

見えるが低いタクシーなどは壁で見えない。田端駅の駅舎は平屋で周辺を見

渡すと左上の高台に旅館が一軒、それと道路を隔てた左斜めに国鉄病院があ

るのみで他は一切なし、お店と呼ばれる建物も無かった。他の駅前と比べて

みても驚きである。知人との待ち合わせ場所も『田端駅北口改札口』と決ま

っていた。そんな訳で毎朝、何の楽しみもなく出勤し、帰りもそのまま一直

線で帰宅することがほとんどで当り前だと思っていた。思い起こして見ると

一つだけあった。それは予報に反して急に雨が降り出した時など、駅に多く

の人々が傘を持って迎えに来ていた。その中に妻の姿を見つけた時の嬉しく

照れ笑いしながら喜びをかみしめていた事を思い出した。

『三代目新田端大橋になって』

その後1987年に三代目の新大橋が隣に出来た。つまり道路が一つ隣に移

ったおかげでそのスペース分が出来て、駅前がロータリーぽくなり、駅の左

側にもスペースが出来たのか高台の旅館がなくなり、ビルが建った。奥から

回転寿司、ラーメン屋、マック、コーヒー専門店、薬局等2Fにレストラン

や居酒屋その上階には病院のクリニック等が出来てまさに夢の様、そして二

代目大橋は『田端ふれあい橋』の愛称で様変りし公園風になり歩行者専用の

橋となった。その端側にホテルメッツの高層ビルが建ち、新大橋を挟んで対

側はにJR東日本支社ビルが建つ。駅と道路を挟んだ左斜め横にはアスカタ

ワーの高層ビルと田端文士村記念館、そして駅の向かいにはパチンコ店(将

軍)も出来た。そしてついに駅舎も改築しプチ駅ビル『アトレブィ』が出来

た。1Fにはケーキ屋、ベーカリー、成城石井、カツ屋、等で2F、3Fに

はブックショップの『ツタヤ』や色々なお店が入っている。それと駅中にも

讃岐うどん、理髪店、珈琲店等がある。それと駅自体がとても綺麗になり、

また駅構内からホームへはエスカレーターやエレベーターも出来た。また『

ふれあい橋』を渡り降りる階段はゆるりと回る様な階段で降りられる。上に

あった食堂と立喰いそば屋は下に降りた所に出来て仲好く並んで商売をして

いる。それとエレベーターも後に出来た。左右に別れる道路に沿っては以前

と同様なだらかに歩道があり。その下に駐輪場も完備した。いま思うと、と

ても便利になった半面、全く何も無かった昔も懐かしい。駅周辺は田端操車

場、尾久操車場、ホテルメッツの上からのながめ等鉄道マニアにとっては魅

力の様で休日にはカメラを持った姿をよく見かける。

《田端駅の歴史にも少し触れて見たい》

1896年(明治29年)12月に日本鉄道土浦線、田端―土浦間(その後

の常磐線)が開業しましたが現貨物線を開く為に4月田端駅が先行してオ-

プン、土浦線は田端でスイッチバックして上野に向かっていた。1903年

(明治36年)日本鉄道豊島線田端―池袋単線開通。1905年(明治38

年)常磐線日暮里―三河島間のカーブ単線開通、田端―三河島間は貨物専用

となる。そんな訳で貨物に重点が置かれ線路の数がやたら多くなったのでは

なかろうか。田端駅はわりと早くに出来たと思う。また調べて見ると知られ

てはいないが色々な変化の中で田端駅の位置が今の位置ではなく2度、3度

と移動している事がわかって面白い。田端駅は山手線と京浜東北線の乗り継

ぎ駅でもある

 現在の田端駅周辺の写真をご覧ください。(2015年)

 

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